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みなさん、今日も一日、お疲れさまです。
本当は、毎日が、聖なる貴重な一日だと、強く
そう感じています。
僕達は、実は聖なる命の無数の生によって、
生かされていると強くそう感じます。
”けんちゃん、なんか宗教でもやってんのかなぁ”
なんて思われてる方、いらっしゃるかも
しれませんが、僕はなんにも信仰していません。
万の神に、仏様に、ご先祖に、家族に、友人に
知人に、みなさんに”ありがとう”と強く目を閉じ
手をあわせることが宗教というものなら
それを信仰してることになります。
世の中の決してきれいなことだけでは成り立たない
現実を裏とするなら、日々の挨拶や他を思いやる
気持ち、社交辞令、礼儀、世の中を成り立たせる
ための表だと強くそう思います。
日が昇り、昼がきて、日が暮れて行く、
そして夜が来る。星を眺め、太陽を中心にして
すべてが回っていることを知り、実は、そんな
ことが、宇宙ではたくさん起こっていること。
僕らには、25日はクリスマス、キリスト誕生の
聖なる日ですが、僕は毎日が掛け替えのない聖なる
一日だと、強く、そう思います。
僕は、木が小さい頃から大好きでした。
気が付くと、HOLLYWOODという聖なる木という
バンドでデビューしていました。ギター、ウッド
ベース、ドラム、母体はすべて木からの恵みでした。
みんなで楽しめる聖なる日、クリスマスが
大好きです。そして、巡る毎日が大好きです。
どこからが最初か、わかりませんが海から上がった
水蒸気が雲となって、やがて雨になり、地上に降り
注ぎ、清らかな水が流れ出し、洗い流された
たくさんの汚れを包んで、海へたどり着くと、
また、水蒸気へ。命は水を必要とし、すべて
の生き物が自然からの恵みです。
クリスマス、そんなことを強く思う僕です。
みんな、良いクリスマスを過ごしてくださいね。
それでは、みんなの明日が良い一日になりますように
また、明日。
大自然 どこにあるかと 聞かれたら
ここにあるさと 胸を張る僕
中川”めっちゃちっちゃいけど
大自然の一部です”謙太郎
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みなさん、今日も一日、お疲れさまです。
海外の地下鉄って、無駄がなくてこじんまり
してるイメージを持ってます。で、そこが
とってもクール!な空間に思えるんです。
何故だろう?と考えてみたのを思い出しました。
で、答えは、”字!”という結果に行き着きました。
日本の地下鉄との明らかな違い、でした。
日本の地下鉄とどこか違う違うと思っていたんです。
ロンドンの地下鉄もかっこいい空間でしたが
パリの地下鉄の方がちょっと広い車両でした。
「なんで、こうちがうかなぁ〜〜?」
きょろきょろして、観察してました。
字ということに気が付くと、どこもかしこも
も〜〜かっこ良く思えて思えて!しかし、だんだん
そんな状況に慣れてくると、なんとも思わなくなる
感じでした。
で、改めて日本の地下鉄のホーム内を改めて見回して
みる・・・・んんんん実に日本らしいと思いました。
なんというか、良いとこ取りな感じ?
日本ってやっぱりイメージとして思い浮かべる
としたら和服にちょんまげ、袴とか刀って
海外の人々が思い浮かべる気持ちがなんだか
よくわかった気がしました。
でも、近頃になって、これまたPENなんですが
日本美の特集なんかもよくやってくれるんですが
改めて、焼き物や日本画、書道や茶道、ほんと
かっこよく思うようになりました。
そういえば、子供の頃、祖父の家などに飾られ
ている、掛け軸とか壷とか、分け分かんない額縁
の書とか、不思議だったなぁ。なんであんなの
かざるんやろぉ?って思ってました。
こうして、年を重ねて行くんですね、人間って。
ビールなんて何がおいしいのかさっぱりわかん
なかったのに、いつの間にかうまいんだもんなぁ
〜。
そうそう、ミロ展にいった時、近所の小学生達が
見学に来てたんです。
「どぉ〜〜〜みてもラクガキにしかみえねぇ〜よぉ」
わかる!わかるぞぉー小学生!と思いました。
空間を自分の目で見て、思考するおもしろさ、
もっと深く理解してみたいです。以外なものが
見えててきてもっと世界が広がるような気がしま
せんか?
それでは、みんなの明日が良い一日になりますように
また、明日。
クリスマス 年に一度の 聖なる日
万年後にも ありますように
中川”考えるのって、楽しかばい!”謙太郎
みなさん、今日も一日、お疲れさまです。
街の明かりは、本当にささやかで、決して
派手ではなく、かといって薄暗い地味さも
なく、流石パリ!といいたくなるような
夜景でした。街としてはきっと、世界中
で一番大人?な街のように思いました。
考えてみれば、本当に街としての存在では
もっとも古い部類にはいる?・・・そっか!
ギリシャやエジプトなんて歴史を考えると
そんなことないですんね。
とにかく、やみくもなライトアップもなく
下世話な看板、ネオン等も目立たず、美しい
街だなぁと思って360度見回してきました。
しかし、あこがれの街はあっても、自分の
いる街、場所、近所をもっと思うようになっ
たのを思い出します。なんというか、”お世話
になってます”的な思いを抱くようになったん
です。ゴミの分別、ポイ捨てされてるゴミを
見つけたらかたずけたり、パリはかなり僕に
僕の気が付かない部分にまで刺激をくれま
した。
なんだか、単純に風になってみたくなりました。
世界中をタダで旅できるとしたら、やっぱり
風でしょう?ベルリン、ブリュッセル、コペン
ハーゲン、ウイーン、バルセロナ、フィレンツェ
マドリード、リスボン、ダブリンetcヨーロッパ
を駆け巡って大声で歌いながら旅したいです。
写真がパリのものしかないせいか、近頃内容が
かなりかたよってしまってごめんなさい。
臨機応変にやらなくっちゃですね。
みんな、風邪大丈夫ですか?体壊していませんか?
くれぐれも気を付けてくださいね。
それでは、みんなの明日が良い一日になりますように
また、明日。
ありがとう あの日あの時 あの人へ
抱く思いが 今日の感謝へ
中川”こんなもんやぁ?向かい風!
もっときちゃってん!うけちゃるけん!”謙太郎
みなさん、今日も一日、お疲れさまです。
なんじゃこりゃ?ってかんじでしょ、実は
凱旋門内の螺旋階段なんです。結構長かった
ような気が・・・でも登り付いた時、うれし
かったのを覚えています。
なんでも、エレベーターもあったみたいな話
聞いたんですが、定かではありません。
が、螺旋階段があることは保証します。
パリの街内には建築物に対する法律がしっかり
していて、凱旋門から一望する景観を損なう
ような建物の建築は、御法度なんです。
さらに向こうに見えたりする高層ビルは、
パリ郊外です。僕の尊敬するミュージシャン
の詩の中によくブローニュの森がでてきたん
ですが、なんでも恐ろしいところみたいで絶対
に行かないでくださいって言われたんです。
そう言われると行きたくなるのが人情!!
しかし、みんなに迷惑かけるようなこともあり
うるので行きませんでした。たまたまブロー
ニュの森内でイベントがあったので行けたん
ですけどね。帰りのバスに手を振ってくる
5〜6人の女性・・・ん?男性???
とにかく、いかなくてよかったと胸を撫で下ろ
しました。わずか5分の間にそのような人物達
にもぉ〜たっくさん、バスの中から確認しました。
様々な文化が様々な形で存在するからこそ
人は自分を見つけられるのかもしれませんね。
本当の自分を見つけた時、それが後ろ指さされる
ような様であっても、人は人を尊重するべきだと
思います。法律を侵したり、人に迷惑をかけたり
するような人は別ですけどね。事実が真実
とは限らず、またその逆もあるということを
忘れたくはありません。
凱旋門の階段、いつ頃からあったのかなぁ?
凱旋門が出来たときからだったとしたらうれしい
んだけどなぁ〜。
パリの街で目覚めた様々な思い、夢、目標や
やってみたいこと、とても一度の人生では
足りない気がしていました。でも、今はこう
思います。「一日一歩、三日で三歩、三歩
進んで、二歩下がる」!
行ってみなくちゃわかりません。行ってみる事
にします。行けば、わかるさ!
それでは、みんなの明日が良い一日になりますように
また、明日。
産声を あげた三十 八年前
今日一日を 知ってたのかな
中川”TOO FAST TO LIVE
TOO YOUNG TO DIE"謙太郎
みなさん、今日も一日、お疲れさまです。
オルセー美術館の大時計の隙間から、我が愛しの
モンマルトルを発見、ぶれないように慎重にシャ
ッターを押しました。この風景をきっとここから
見たことのあるフランスの人もたくさんいるんだ
ろうなぁ〜としばらくぼんやりと眺めていました。
サクレクール寺院も、きっとたくさんの人を迎え
見送りあの場所で今も”君の願い事、覚えているよ
〜”なんて、この写真みて勝手に思っています。
パリにいってほとんどのことがパリで知ったこと
ばかりで、凱旋門に登れることも、オルセーが古い
駅で全面改装ではないこと、ノートルダム寺院には
ナポレオンが眠っている事、その他たくさんのこと
を知りました。芸術の絵や彫刻、オブジェ等の
作者がわかるものに関しては凄く興味がありました
が、ルーブルや、ベルサイユ宮殿に行った時、
なんともいえない脱力感を感じずにはいられません
でした。
歴史を知れば知るほど、脱力感は増していきました。
モンマルトルの不良画家達も同じような旧体制への
反旗を胸に秘めていたと強く感じました。印象派の
良さは、その反発を美として旧体制に訴えかけつづ
けたところに今の、すばらしい美術史としての印象
派が存在してると思うんです。反発の心を美として
頷かせた19〜20世紀の巨匠たちに改めて感謝し
ました。
意外と宮廷画家達も感じていたのかもしれません。
宮廷作曲家たちも。美術史を学ぶとその戦いは
生易しいものではないことが良くわかります。
そうして、いろんな思いを勝手にモンマルトルに
かぶせて、”日常の幸せを求めた奴らの溜まり場”
モンマルトルを見つめていました。やがて、その
街に溜まっていた”いいやつら”の作品たちは世界
中をその美で包んで行きました。
僕は、絶対に真っ先にオルセーに行きたかったんです。
印象派の最高峰、行けて本当によかった。だから
僕も先輩たちに続くべく歩んで行きたいと思って
います。
今日は大掃除をやり始めました。1日ではとても
終わらないのでじっくり時間かけて年越し前には
今年のホコリを完全にきれいにして、来年へむか
おうと思います。
それでは、みんなの明日が良い一日になりますように
また、明日。
100年後 奇麗な草花 街や人
笑顔の未来は さあ明日から
中川”一日、一笑顔”謙太郎